月に向かって手を伸ばす。
言葉だけなら詩的で美しい。
だが実際にその行為を目の当たりにすると、ただただ滑稽なばかりで、そこに情緒など存在していない。

「そのようにね、私は思うんだ」

「だから、私に止めろと言うの?」

口を尖らせ振り向く少女に笑みを一つ。
男は夜空を仰ぎ見る。
黒、というべきなのか。或いは濃紺というべきなのか。
一面に散らばった光と一際輝く円を視界に納め、ほう、と小さく吐息を吐いた。

「別にね、君のしている事が見苦しいだとか、年齢にそぐわないとか。そういう意味ではないんだよ」
「じゃあ、どうして?どうしてそれを止めろと言うの?」

少女は眉をつり上げて、きっと男を睨み付ける。
爛々と光る両の目は、真上で輝く球体にも見えた。
ざらついた問いに答える事なく、男はひたすら見返すばかり。
聞こえるように舌を打つと、少女は再度手を翳した。

「だからね、君。私はそれを止めるべきだと言っているんだよ」
「嫌。例え無意味と判っていても、私はこれを続けるわ」
「おや、無意味と判っていたのかい。ならば何故」

驚いた、と瞬きをすると、男は不思議そうに首を傾げる。
幼い子供ならまだしも、既に成人となっているであろう男のするべき仕草ではない。
よくもまあ、人のことを言えると少女は思う。

「こうして手を伸ばし続ければ、何時かきっと私に気付く。そうしたらきっと向こうも手を差し出すの」
「ずいぶんと非現実的だね」
「笑いたければ笑うと良いわ。でもね、これは本当よ」

くつり、くつりと少女は笑う。
ぎらりぎらりと輝く眼。
ひやりと冷たい汗が伝う。

「本当、とはどういうことだね」
「そのままよ。いつか、いつか。何時の日か。私は月の手を取るわ。それまでこうして待ってるの!」

けたけたけた、声が広がる。
知らず後ずさりしていた男の背後から。
ぞわぞわぞわ、背筋が震える。
何かが背後にあるのだけれど、怖くてとても、振り向けない。
からからから、少女の笑い。
暗い世界に木霊する。
誰かに飲み込まれそうな気がするのだけど、確認するのが恐ろしい。
がらがらがら、崩壊の音。
視界が白く、ちかちかと光る。


「ああ、いなくなっちゃった。もう少し遊べると思ったのに」

まあ、良いかと少女は笑い、頭上の月へと手を伸ばす。

「ねえ、早く気付いてよ。私はずうっと待ってるの」

月は静かに少女を見やり、もう少しお待ちと呟いた。







月影理論