「けれども、これは。この紐は。血液などではなく、しがらみなのかもしれないよ」
「どういう意味だ」

男が再度目を細める。
先のような苛立ちからくるものではなく、多くの疑問と僅かの不安からくるものだ。

「血液、と言ったけど。それはこの色を元にした空想だろう。
…ああ、垂れ下がるさまから流れる、とも言っていたね」

忘れていたよ、と紐を揺らす。
視界の端に紐を映して、男は僅かに目を伏せた。
ぐらり。
視界が歪む音。

「けれどもね、それらは意味のないものだと思うのだ。とても詮無きことなのだ。真に意味があるのは、この」

言いながら、彼は左手を右手に添え、括られた部分を緩く掴んだ。
響く警鐘。乱れる思考。

「この、結び目にこそあるのではないか」
「なにをばかな」

尖った声もそのままに、男がぎろりと睨め付ける。
なぜだか、これ以上。彼の言葉を聞いてはならぬ。
そんな気がしてならないのである。
だが、男の拒絶もどこ吹く風と、彼は言葉をはき続ける。

「これはしがらみなのではなかろうか。生まれた時、我々の手にはなにもない。
…否。生まれる前からあるにはある。いわゆる親子、というしがらみが」
「それはしがらみとは言わないだろう」
「然様。だが、時に親子…家族は生涯つきまとう鎖だ。しがらみでないとは言い切れない」

どこか斬りつけるような物言いに、男はきつく顔を顰めた。
家族が鎖であるなどと。そんなことは、ないはずだ。
そんなことは、けして。

「生まれ落ちたとき、親子、すなわち家族というしがらみを持って我らは呼吸を始める。
そうして生きてゆくさなか、ああしてはならない、こうしてはならない、と周りからとやかく言われるだろう。
常識や規則というものだ」

彼は指を滑らせて、紐の結び目をつつっとなぞる。
何の意味もない仕草に見えたが、男にはそれは疎ましさから来るものだと瞬時に判った。
ごくり。唾を飲み込む音。

「常識や規則はなくてはならないものだろう。一つ一つは大した物ではないけれど、その数は数え切れない程だ。
規則、否しがらみはどこにでも存在しているのだ。そうして、多くのしがらみに縛られると、ほら。ぴくりとも動けない」

丁度、そんな風に。

言われて男は気がついた。
左手に括られた無数の紐に。
いいや、左手だけではない。
今や、男の首に、足に。
体中至るところに結び目があった。
きつく結ばれたわけでもなく、緩く結ばれたわけでもない。
だというのに、男は身動き一つ取れやしない。

思うように動けぬもどかしさと、喉を掻き毟りたくなるくらい強い、不快感。
男は強烈な吐き気と目眩を覚えた。
声を上げ、暴れ出したい。
だというのに、身体は全く動かない。
当然だろう。言葉は発することが出来ても、男の四肢は拘束されている。
息苦しさでどうにかなりそうだ。

「これを外せ」

食いしばった歯の隙間、絞り出したような声で男は言う。
懇願のようでいてその実命令の意を滲ませた言葉は、酷く不快に響き渡る。
それこそ、聞いた者の耳が腐ってしまいそうな程に。
同時に、眼球を爛々と光らせる男はいっそ滑稽だ。
胸中でこそりと呟き、彼はにこりと微笑んだ。